解体!キュービクルの中にPCBが!ネオンサイン・蛍光灯のラビットスタートにも!ちゃんと説明していますか?注意しないと、仲介業者の責任に!
なんば大国町の不動産エージェント ワンダーランド・久保田 博です。
宅建の試験には出てきませんが、実務で知らなければ、仲介業者の責任、損害賠償請求もあり得る!
「カネミ油症事件」 食品公害を覚えていますか?
PCBは、1968年(昭和43年)に食品公害「カネミ油症事件」を引き起こし、
これを契機に毒性と環境汚染・生物汚染が社会問題化して
1972年(昭和47年)にその製造は禁止された。
しかし生産量の大半は耐用年数の長いトランスやコンデンサーの絶縁油として利用されたため、PCBの製造禁止は使用の禁止ではなかった。
2001年(平成13年)にポリ塩化ビフェニル廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法(PCB廃棄物特別措置法)が制定されるまでは、PCB含有トランス・コンデンサー等の一部利用や保管が継続し稼働・保管中の事故や産廃処理過程等における漏出によってPCBの環境汚染は続いた。
(環境書のホームページより抜粋)
上記にあるようにPCBは解体の時に厄介なお荷物になっています!
売買契約でもこれらのある物件を取引する場合、その辺の不動産業者では知らずに処理をしないまま、解体し、世の中にばらまかれているかも知れません。
コンプライアンスの問題ですが、不動産流通推進センター(不動産コンサルティングマスターの試験をおこなっているところ)では、
「売主に瑕疵担保責任(契約不適合責任)があるかどうかという難しい議論をするよりも、「PCB」の存在という誰もが予想していなかった事実が発生したのだから、その予想していなかった費用を誰がどのような割合で分担するのが最も丸く収まるかということを考えた方がよいのではないかと考える。」と。
これは2008年3月です。
PCBについては、宅建業法35条に列挙する重要説明事項に含まれてはいません。したがって、いわゆる法定重説事項ではないから、宅建業者として取引対象物件におけるPCB廃棄物の有無について自ら積極的に調査することまでは求められてはいないわけですが、しかしながら、毒性物質であり、人の健康に直接関係する事項である以上、電気工作物が設置されていたり、経過年数の多い建物であるなど、PCBの存在を容易に推認することができるような状況にあっては、当事者に対し、PCBに関する対策を講じているか否か確認したり、PCBについて調査する必要があることを注意喚起するなどの対応を取っておくことが望ましいと考えられています。
2010年7月 不動産適正取引推進機構 研究理事・調査研究部長 周藤 利一氏 より
曖昧な事になっています。
でも、売買での話しで仲介会社は売主の費用で処理をしてもらわないといけません。この令和4年3月末日までならば、売主が個人の場合、この処理費の95%まで国が助成してくれていました。今は無くなりました。
不動産業者として宅建マイスターではあれませんが、本当にいろんなリスクがあります。
知れませんでしたと、言えれば良いのですが、そんなわけにもいかない事ではないでしょうか。
築年数が経ってるビルを売買する場合、仲介業者は本当に注意をしなければなりません!宅建士もスキルを上げるべきでしょう!
⭐︎☆ 有限会社ワンダーランド☆⭐︎創業:平成2年4月
・HP: https://www.0120720901.com/
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大阪ミナミ 高島屋前の戎橋筋にあった、大阪市立精華幼稚園・精華小学校の出身です。現在エディオン。
なんばスケート場・なんばプール・千日ファミリープール、今あるマルイの地下にあった、ゲームセンター等を幼稚園の時から遊び場にし、小学生の時は、友達の雀球・アレンジボール、コインゲームセンター、雀荘などで遊び呆けて育ちました。
世間では、そんな風うに育てば、ろくな人では無いと思われるか知れませんが、門前の小僧みたいなもので、何をすれば駄目なのか、何をすれば良いのか、がわかるようになったように思います。
そんなこんなで今があります。
「戦争」「コロナ禍」「地震」「円安」「デフレ」。一体この不況はいつまで続くのでしょうか。多くの国民がこの暗いトンネルの出口を探そうとあえいでいます。
不動産業というのは、世間の人から客観的に見ても、「何か恐い」「騙される」「うそをつかれる」「ふっかけられる」等の先入観で判断されがちです。事実、我々不動産業者が同業者を見ても、「狐とタヌキの化かしあい」の様なところも事実あります。その様な部分を改善しょうともせず、勉強をせず営業努力も怠って業界自体も現在に至っています。
そのような中、やはり、お客様の喜びなしではやっていけません。私たちはお客様の笑顔を見るために、本当にいいサービスを本当に喜ばれるように、生意気かも知れませんが、感謝されるお客様をどれだけ創る事ができたのかが大切だと考えています。
しかし、現実は非常に厳しい。まずは、その訳をお聞きください。土地建物の売買の場合、売り物件はどうしても、知名度のある、信用力のある、大手に流れてしまいます。
買いの場合は、極端な話し、手数料が安ければと言われるお客さんもいらっしゃいます。要は業者などどこでもよく、ちゃんと取引が出来れば購入してくれます。 買うのはどこの不動産屋でも同じ!しかし、売るの時は、大手!と言う心理がはたらいています。
大手と街の不動産屋の大きな違いは、資金力・信用力はもとより、取引時の重要事項説明書などの書類関係など調査力と、丁寧さです。街の不動産屋は、道路・ガス・上下水道・隣地境界・道路関係などの面倒のかかる調査は最近やっと当たり前になってきました。全ての不動産屋がいい加減では決してありませんが、でも、私も含めてそうかも知れませんが、不動産屋などをやろうとする人は、一発逆転ホームランを狙うような、楽して儲けようと思う人が多いのも確かだとおもいます。
ワンダーランドの沿革は昭和33年に私の父が難波歌舞伎座裏で南新商事創業(不動産業 免許番号第1590号)。南新商事のお客様を受けつがず、平成2年敷津西に、何とか一年分の生活費を工面し有限会社ワンダーランドをオープン。ゼロからのスタートでした。
平成2年と言うと、バブルの絶頂期で土地を2~3週間も物件を抱くと数百万円も儲かるという時代でした。売買のお客様には金額も張るため、本当の歳(27歳)は言えず、33歳ですと嘘を言わないと信用もされません。
そして、不動産業さえすれば儲かると錯覚し、営業を始めたのですが、土地の値段も坂を転げ落ちるように下がり、なかなか売買の仲介ができませんでした。
私自身、まだ弱冠27歳で、妻と二人で事務所にいるだけで電話もかからず、月に1件賃貸の契約が出来れば良いほどで、売買などは皆無でした。幼い子供がいたために、事務所の2階には子供を寝さす部屋として2畳の和室(現在もあります)を作りました。妻と子を養うどころか、不動産業だけではどうにもならず、妻もパートに行き、そして、夜は子供が寝静まってから、なんとか輪転機のリースが通った機械で寒い冬も、暑い夏も、チラシ作成し、それを妻と二人で配りに歩きました。しかし、結果を出すことが出来ず。妻には迷惑ばかりをかけていました。
なんとか、かんとか5年ぐらい持ちこたえることができ、その頃から1人2人とスッタッフにも恵まれ賃貸にも力を入れ、売買と賃貸の両輪で営業を進め、おかげさまで、平成11年6月に、大阪市浪速区元町1丁目(私の実家)に2店舗目を出すことが出来ました。(2020年に難波店閉店)
いくらワンダーランドが儲らなくても、嘘をついて儲けたくはありません、お客様に喜んで戴き「また使ってやる」と言われなければと考えております。
皆様に支えられて、浪速区内の元町・敷津西・敷津東・大国・難波中・戎本町の木津中校区での売買・賃貸の仲介実績をあげられるようなりました。
その間、小学校や中学校のPTAの会長や地域のお手伝いをさせて頂くようになり、賃貸管理も雪が春の日差しで徐々に溶けるように、任せて頂けるようになりました。
今は、この様にいろんな角度から応援してくれた皆さんに感謝しています。現在スタッフは私・妻を含め7名(内宅建士6)です。
幸せ感は人それぞれ違うかも知れませんが、今ある自分は皆さんのおかげで生活できる事に心より感謝し、皆さんの喜んでいる顔を思い浮かべ、一意専心に物事にあたっていきます。
好きな言葉 死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。 道尽き心安んずる、便ち是死所。 世に生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。 心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。