天神祭り
7月24日25日と大阪で1番有名と言っても良い夏祭り、天神祭が開催されていました。
まぁそんなことを言いながら今年も現地に行ってはいないのですが、昨日は上司と串カツ屋でテレビ中継されている天神祭の花火を見ていました。笑
人が半端なく多く暑すぎるので、マンション上階かテレビ中継をおとなしく見ておくのが正解かもしれません。中継を5分も見ていると飽きるので、そこからは野球中継です。
誰が興味あるのかは、わかりませんが、天神祭の歴史でも載せておきます。笑
天神祭の歴史
大阪天満宮が創祀されたのは平安時代後期の天暦3年(949)のことです。
一夜のうちに七本の松が生え、夜ごとに、その梢は金色に光り輝いたというのが創祀の由来です。
当代の村上天皇は、これを菅原道真公に縁りの奇端として当地に天満宮を造営され社領として周辺の七ヵ村を遣わされました。
その当時、都では落雷や疫病の流行などの天変地異が度重なり、人々はこれを配所で非業の死を遂げられた道真公の怨霊によるものと考え、その霊を鎮めるために「天満大自
在天神」としてお祀りしました。いわゆる「天神信仰」の成立です。
〜天神祭の始まり〜
大阪天満宮が創祀された翌々年の天暦5年(951)に鉾流神事が始まりました。
鉾流神事とは、社頭の浜から大川に神鉾を流し、漂着した場所にその年の御旅所を設ける神事で、御旅所とは御神霊がご休憩される場所のことです。
この御旅所の準備ができると御神霊は陸路で川岸まで出御、乗船して大川を下り御旅所へ向かうルートを辿りました。
この航行が船渡御で、天神祭の起源とされています。
当時は旧6月に鉾流神事が行われ、6月25日に船渡御が行われたといいます。
室町時代の宝徳元年(1499)の公家、中原康富の「康富日記」には7月7日に天神祭が行われたとの記録も残っており、また、戦国時代の公家、山科言経の日記「言経卿記」では、天正十四年(1586)6月25日に天神祭が記録されています。
菅原道真の生誕の日に因んで旧暦の6月25日に変更されたといわれます。(明治十一年、太陽暦の採用で7月25日に変更)
なお、江戸初期の御旅所の常設にともない鉾流神事は中止されましたが、昭和5年(1930)に古式にのって復活しました。
現在では7月24日の朝に旧若松町浜(天満警察署前)で斎行される鉾流神事は当初と同じく、天神祭の幕開け行事となっています。
〜江戸時代の船渡御〜
大坂の陣の戦火で一時吹田に避難した大阪天満宮でしたが、江戸初期に再び天満への還座された後、天神祭の再開にあたっては鉾流神事で御旅所の地を決めるのをやめて、雑喉場町(西区)に常設の御旅所がおかれました。
これによって船渡御のコースは固定化され、祭礼の一部始終を事前に計画できるようになりました。
天満宮周辺の氏子・崇敬者が境内から川辺の乗船場まで徒歩で行列を組み(陸渡御)、乗船場からは船列を仕立てて下流の御旅所へ向かっていましたが(船渡御)、御旅所の常設後は天満宮周辺の氏子・崇敬者も御迎船を仕立てて川を遡行し、神霊奉安船と合流後に反転して、御旅所まで一緒に下航するようになったのです。
〜幕末・維新期〜
十四代将軍徳川家茂が長州再征のために来阪した時期、世情不安を理由に天神祭の渡御列は中止となり、慶応元年から明治4年までの6年間、本殿での祭儀のみが斎行されていました。
戎島付近が外国人居留地になったという理由もあり、その船渡御の復興の際には、従来の戎島の御旅所ではなく松島に移転されました。
しかし、明治6年以降、再び船渡御は中止されます。
維新以来、大阪の経済は沈滞したことが最大の理由で、再び土砂の堆積をとって船渡御が復興されたのは明治14年のことでした。
天神祭は今も昔も大阪経済とともに歩んできたといえるのです。
〜現在の天神祭の形に〜
昭和5年には江戸時代初期から途絶えていた鉾流神事が三百余年ぶりに復活されました。
そして、第二次世界大戦後まもない昭和24年に、昭和13年以来中止されていた船渡御が再開されました。
ところが長年にわたる大阪一帯の地盤沈下のために大川の水位があがり、川に架かる橋の下を神輿が通れず、下流の松島にある御旅所への航行が不可能になったため、翌年(昭和25年)にはまたもや中止となりました。
歴史ある船渡御を継続させるため、昭和28年(1953)に大川を上流に遡って航行するという、今までとは全く逆の新しいコースの船渡御が復活しました。このコースが現在の船渡御のコースです。
これによって、御旅所で行っていた神事を御鳳輦奉安船で行うようになり、両岸の大群衆が見守る中で「船上祭」を斎行するようになりました。
それ以来、コースを少しづつ伸ばしながら天神祭を代表する船渡御は続いています。〜新たな試みへ〜
平成6年5月、関西国際空港の開港を記念して、大阪天満宮の神職および氏子・崇敬者ら約1000名がオーストラリアに渡り、ブリスベン市で天神祭を斎行しました。
創祀以来、初めて異国で斎行された「天神フェスティバル」はその厳粛な祭儀と、豪壮華麗な渡御列によって、人々を魅了し大きな感動を与えました。
また、当初は天神祭が7月7日に行われていたことも有り、七夕の祭り、星辰信仰との関係が深いこと、大阪天満宮の境内にある「星合池」がそのなごりを留めていることを踏まえて、平成7年(1995)に天満天神七夕祭りが復興しました。
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