不動産相続の相談窓口
不動産相続の相談窓口として、弊社の前に看板を掲げる事に!!
久保田(弊社社長)が主体となり、不動産相続についての不明な点や困り事などをサポート致します。
相続対策には、法律や税制を含めた相続の基礎的な知識はもちろん、金融や不動産の知識が必要になります。
特に扱いの難しいのが不動産であり、不動産の難しいポイントは大きくふたつあります。
ひとつは、不動産はその価値がわかりにくいこと。
もうひとつは、不動産は分けにくいこと。
それぞれをもう少し具体的な例を含めてみてみましょう。
「不動産はその価値がわかりにくい」
例えば、古くから所有している山の土地を相続するとします。
広さはありますが、駅からも離れていて、住宅を建てられない「市街化調整区域」となっているので、活用することもできません。
固定資産税は大してかかっていないので、特に考えもなしにそのまま相続をしようとしていますが、大丈夫でしょうか?
実は「市街化調整区域」の相続では注意が必要です。
各市町村では市街化調整区域など、路線価の定められていない土地を評価する時に用いる「倍率表」というものが存在して、相続税はそれによって求められた額をもとに算出しますので、「大した価値はない」と思っていた土地に多額の相続税が課されることがあり得ます。
もっとわかりやすいのは、例えば傾斜のある土地の相続です。
駅近で土地としての評価は高いのですが、その土地にアパートなどを建てて活用しようと思うと その傾斜のためにそのままでは何も建てられないということがあり得ます。
活用したくても活用できない、売却もしにくいという不動産は、相続上の評価と不動産としての実際の価値が釣り合わないことがあるのです。
「不動産は分けにくい」
例えば、2億円分の相続財産がある方が亡くなり、相続人が配偶者と子ども2人だとします。
この資産を"公平に"分けたいと思ったらどうすればよいでしょうか。
法定通りに相続をすると、配偶者が1/2、子ども2人がそれぞれ1/4ずつ相続することになり、ちなみに家族には1,350万円の相続税がかかります。
しかし、相続財産の内訳を見てみましょう。
全てが現預金なのであれば、きれいに1億円、5,000万円、5,000万円と分ければ公平ですが、全てが現預金ということはまずありません。日本人の家計資産の7割は不動産資産です。
例えば2億円のうち1億5,000万円分は大きな賃貸用マンションの評価だったとしたら、どのように"公平に"分けるでしょうか?
また、その場合、かかる相続税はどうなるでしょうか?
もっとわかりやすいのは、自宅の相続です。
例えば、父は既に数年前に他界していて、いま母が亡くなりました。
資産は大してなく、地元の自宅とその土地、あとは銀行口座の200万円程度です。相続税はかかりません。
相続人は、都内で働き妻子を持つ長男と、海外に単身赴任をしている次男、地元で母と一緒に暮らしていた長女の3人だとします。
この遺された資産は、3人でどう分けますか?
不動産は現金のように"均等に"分けることが難しく、持って移動することもできないので分けにくいのです。
相続対策にはさまざまな知識が必要です。知っているかどうかで大きな差が生まれますので、まずは相続を学んで知識を得ることをお勧めします。特に価値のわかりにくい不動産については、どのようなケースに注意をすべきかを学んでおきましょう。
ただし、知識さえあってあらかじめ気を付けていればトラブルになることなく相続ができるかというとそうではありません。
なぜなら、不動産は分けにくく、学んだ通りにうまくいくことばかりではないからです。
しかも、そこには家族ごとの事情や、その家族における相続人の意向も関わってきます。
まずは知識を得て何に注意をしなければいけないのかを理解したうえで、自分たちの家族の場合はどうなるのか、どうしたいのかをしっかりと考えて、家族のあいだで共有しておくことが大切です。
上記の様な複雑な不動産相続のご相談を弊社で対応致します。
小さなお悩みでも是非ご相談下さい。
有限会社ワンダーランド
【不動産相続の相談窓口】
0120-720901(浪速区で1番)迄
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大阪ミナミ 高島屋前の戎橋筋にあった、大阪市立精華幼稚園・精華小学校の出身です。現在エディオン。
なんばスケート場・なんばプール・千日ファミリープール、今あるマルイの地下にあった、ゲームセンター等を幼稚園の時から遊び場にし、小学生の時は、友達の雀球・アレンジボール、コインゲームセンター、雀荘などで遊び呆けて育ちました。
世間では、そんな風うに育てば、ろくな人では無いと思われるか知れませんが、門前の小僧みたいなもので、何をすれば駄目なのか、何をすれば良いのか、がわかるようになったように思います。
そんなこんなで今があります。
「戦争」「コロナ禍」「地震」「円安」「デフレ」。一体この不況はいつまで続くのでしょうか。多くの国民がこの暗いトンネルの出口を探そうとあえいでいます。
不動産業というのは、世間の人から客観的に見ても、「何か恐い」「騙される」「うそをつかれる」「ふっかけられる」等の先入観で判断されがちです。事実、我々不動産業者が同業者を見ても、「狐とタヌキの化かしあい」の様なところも事実あります。その様な部分を改善しょうともせず、勉強をせず営業努力も怠って業界自体も現在に至っています。
そのような中、やはり、お客様の喜びなしではやっていけません。私たちはお客様の笑顔を見るために、本当にいいサービスを本当に喜ばれるように、生意気かも知れませんが、感謝されるお客様をどれだけ創る事ができたのかが大切だと考えています。
しかし、現実は非常に厳しい。まずは、その訳をお聞きください。土地建物の売買の場合、売り物件はどうしても、知名度のある、信用力のある、大手に流れてしまいます。
買いの場合は、極端な話し、手数料が安ければと言われるお客さんもいらっしゃいます。要は業者などどこでもよく、ちゃんと取引が出来れば購入してくれます。 買うのはどこの不動産屋でも同じ!しかし、売るの時は、大手!と言う心理がはたらいています。
大手と街の不動産屋の大きな違いは、資金力・信用力はもとより、取引時の重要事項説明書などの書類関係など調査力と、丁寧さです。街の不動産屋は、道路・ガス・上下水道・隣地境界・道路関係などの面倒のかかる調査は最近やっと当たり前になってきました。全ての不動産屋がいい加減では決してありませんが、でも、私も含めてそうかも知れませんが、不動産屋などをやろうとする人は、一発逆転ホームランを狙うような、楽して儲けようと思う人が多いのも確かだとおもいます。
ワンダーランドの沿革は昭和33年に私の父が難波歌舞伎座裏で南新商事創業(不動産業 免許番号第1590号)。南新商事のお客様を受けつがず、平成2年敷津西に、何とか一年分の生活費を工面し有限会社ワンダーランドをオープン。ゼロからのスタートでした。
平成2年と言うと、バブルの絶頂期で土地を2~3週間も物件を抱くと数百万円も儲かるという時代でした。売買のお客様には金額も張るため、本当の歳(27歳)は言えず、33歳ですと嘘を言わないと信用もされません。
そして、不動産業さえすれば儲かると錯覚し、営業を始めたのですが、土地の値段も坂を転げ落ちるように下がり、なかなか売買の仲介ができませんでした。
私自身、まだ弱冠27歳で、妻と二人で事務所にいるだけで電話もかからず、月に1件賃貸の契約が出来れば良いほどで、売買などは皆無でした。幼い子供がいたために、事務所の2階には子供を寝さす部屋として2畳の和室(現在もあります)を作りました。妻と子を養うどころか、不動産業だけではどうにもならず、妻もパートに行き、そして、夜は子供が寝静まってから、なんとか輪転機のリースが通った機械で寒い冬も、暑い夏も、チラシ作成し、それを妻と二人で配りに歩きました。しかし、結果を出すことが出来ず。妻には迷惑ばかりをかけていました。
なんとか、かんとか5年ぐらい持ちこたえることができ、その頃から1人2人とスッタッフにも恵まれ賃貸にも力を入れ、売買と賃貸の両輪で営業を進め、おかげさまで、平成11年6月に、大阪市浪速区元町1丁目(私の実家)に2店舗目を出すことが出来ました。(2020年に難波店閉店)
いくらワンダーランドが儲らなくても、嘘をついて儲けたくはありません、お客様に喜んで戴き「また使ってやる」と言われなければと考えております。
皆様に支えられて、浪速区内の元町・敷津西・敷津東・大国・難波中・戎本町の木津中校区での売買・賃貸の仲介実績をあげられるようなりました。
その間、小学校や中学校のPTAの会長や地域のお手伝いをさせて頂くようになり、賃貸管理も雪が春の日差しで徐々に溶けるように、任せて頂けるようになりました。
今は、この様にいろんな角度から応援してくれた皆さんに感謝しています。現在スタッフは私・妻を含め7名(内宅建士6)です。
幸せ感は人それぞれ違うかも知れませんが、今ある自分は皆さんのおかげで生活できる事に心より感謝し、皆さんの喜んでいる顔を思い浮かべ、一意専心に物事にあたっていきます。
好きな言葉 死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。 道尽き心安んずる、便ち是死所。 世に生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。 心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。