明日で創立35周年!長くて短かった!
なんば大国町の不動産エージェント ワンダーランド・久保田 博です。
ワンダーランの創業は平成2年4月2日
宅建免許のおりたのは平成2年5月9日
よくもまあ、35年も不動産業が出来たものです。
本当に皆様のおかげです。感謝申し上げます!ありがとうございます。
昭和三十三年、父が難波歌舞伎座の裏手で「南新商事」を立ち上げた頃、私自身はまだ幼く、大阪ミナミの活気と喧噪を遊び場にして育ちました。戎橋筋のアーケードや南街劇場(現マルイ)の下のゲームセンターの明かりに心を躍らせながら、人の往来や商売の匂いを肌で感じ、自然と“商いとは何か”を学んでいったのです。しかし、華やかに見えるこの世界も一筋縄ではいかない。
平成二年、私は父の事業を継ぐのではなく、妻と二人で敷津西に「有限会社ワンダーランド」を立ち上げました。ちょうどバブル景気のど真ん中と言うより、頂点から転げるように弾けたときで、それでも土地を少しの間抱えるだけで莫大な利益が出ると言われる時代。私も「これこそ一発逆転のチャンスだ」と浮足立ち、周囲の勧めもあって父に借金をさし、さらなる投資に踏み込みました。結果として、その借り入れ金の利息は毎月百万円にも達し、まさに燃えるように膨れ上がる返済額に押しつぶされそうになる日々を送ることになったのです。
それでも当時は「先に賭ければ、そのうちいくらでも取り返せる」という空気が世間にも充満していました。父も私も、不安を無理矢理に飲み込みながら、時には自分をごまかすように懸命に動き回りました。ところが、バブルという高い波がいつまでも続くはずもありません。突然弾けた好景気の波は、あっという間に砂上の楼閣を崩していきました。手元に残ったのは大きな借金と、なんとかやりくりしようとほんの少しの食事代。
最終的には私がいる事務所までも競売にかけられる危機に直面し、「俺は何をやっているんだろう」という気持ちに苛まれ、夜中に目が覚めては天井を見つめながら冷や汗ばかりかく日々が続きました。そんな私を支えてくれたのは、他でもない家族でした。パートに出て少しでも家計を助けようとしてくれた妻、そして不自由な事務所暮らしの中でもけなげに笑顔を見せてくれる子ども。日中はがむしゃらに物件探しやチラシ配りをし、夜は子供を寝かせてチラシ配り、知り合いに何度も頭を下げ、お金の都合をつけてもらう。それは自力というには余りにも多くの支えがあって初めて成り立つ日常でした。
「商売だからうまくいかないときもある」と言い聞かせても、それで救われるほど甘くはありません。信頼を築くためには地道な取引や丁寧な調査が欠かせないと分かっていても、バブル崩壊後の荒波の中では、客足が途絶え、電話が鳴らない日が何日も続く。そんなときほど、開き直るかのように夜な夜な輪転機を回し、チラシを作っては配り歩き、「そう簡単にやめられるものか」と歯を食いしばりました。ときには「こんなことまでして、いったい何になるのだろう」また、妻からは「もう店をたたんだら、他に仕事を見つけたら」と言われることもありましたが、不思議と人は助けてくれるんです。地域の小学校や中学校のPTA活動に顔を出したり、町内会の手伝いをしたり、コツコツと積み上げたご縁が少しずつ芽を出し始め、「あんたんとこに頼んでみようか」と声をかけてもらえる機会が増えていきました。売買だけではなく賃貸管理にも力を入れた結果、浪速区の元町や敷津西、敷津東、大国、難波中、戎本町といった一帯で、私たちを頼りにしてくれるお客様が増えていったのです。特に精華小学校の時の親御さんに助けてもらいました。
長く苦しいトンネルを抜け出せたと感じられるようになった頃、私の息子もいつの間にか大きくなり、今では違う不動産会社に就職をして、私とはまた別の道を歩んでいます。時代も価値観も変わりつつある中で、私が引き継いできたものは何だったのかと振り返ってみると、派手な成功談ではなく、毎月百万円という膨大な利息に追われ、事務所が競売の恐れにさらされながらも「もう一日、あと一週間、何とか生き延びよう」と踏ん張り続けたあの頃の気持ちこそが、私の原点なのだと気づきます。そして今日、創立から三十五年を迎えるワンダーランドは、父や妻、地域の皆さま、そして幾多の失敗と挑戦によって育まれてきました。私たちが抱いた「お客様の笑顔が見たい」という思いは、苦しさを知ったからこそ消えずに燃え続けています。
これからも、一意専心に物事に向き合い、人と地域に寄り添って、次の時代へと歩みを進めていきたい。これが私たちの三十五年の物語であり、そしてまた新たな一歩の始まりだと心から信じています。
⭐︎☆ 有限会社ワンダーランド☆⭐︎創業:平成2年4月
・HP: https://www.0120720901.com/
https://www.720901.com/
https://www.720.co.jp/
・mail info@720901.com
・
住所:大阪市浪速区敷津西1-1-25
Tel: 0120-720901(なにわくで一番)
Tel: 0120-720981(なにわくは一番)
Fax: 06-6643-3363
Fax: 06-6647-3363
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大阪ミナミ 高島屋前の戎橋筋にあった、大阪市立精華幼稚園・精華小学校の出身です。現在エディオン。
なんばスケート場・なんばプール・千日ファミリープール、今あるマルイの地下にあった、ゲームセンター等を幼稚園の時から遊び場にし、小学生の時は、友達の雀球・アレンジボール、コインゲームセンター、雀荘などで遊び呆けて育ちました。
世間では、そんな風うに育てば、ろくな人では無いと思われるか知れませんが、門前の小僧みたいなもので、何をすれば駄目なのか、何をすれば良いのか、がわかるようになったように思います。
そんなこんなで今があります。
「戦争」「コロナ禍」「地震」「円安」「デフレ」。一体この不況はいつまで続くのでしょうか。多くの国民がこの暗いトンネルの出口を探そうとあえいでいます。
不動産業というのは、世間の人から客観的に見ても、「何か恐い」「騙される」「うそをつかれる」「ふっかけられる」等の先入観で判断されがちです。事実、我々不動産業者が同業者を見ても、「狐とタヌキの化かしあい」の様なところも事実あります。その様な部分を改善しょうともせず、勉強をせず営業努力も怠って業界自体も現在に至っています。
そのような中、やはり、お客様の喜びなしではやっていけません。私たちはお客様の笑顔を見るために、本当にいいサービスを本当に喜ばれるように、生意気かも知れませんが、感謝されるお客様をどれだけ創る事ができたのかが大切だと考えています。
しかし、現実は非常に厳しい。まずは、その訳をお聞きください。土地建物の売買の場合、売り物件はどうしても、知名度のある、信用力のある、大手に流れてしまいます。
買いの場合は、極端な話し、手数料が安ければと言われるお客さんもいらっしゃいます。要は業者などどこでもよく、ちゃんと取引が出来れば購入してくれます。 買うのはどこの不動産屋でも同じ!しかし、売るの時は、大手!と言う心理がはたらいています。
大手と街の不動産屋の大きな違いは、資金力・信用力はもとより、取引時の重要事項説明書などの書類関係など調査力と、丁寧さです。街の不動産屋は、道路・ガス・上下水道・隣地境界・道路関係などの面倒のかかる調査は最近やっと当たり前になってきました。全ての不動産屋がいい加減では決してありませんが、でも、私も含めてそうかも知れませんが、不動産屋などをやろうとする人は、一発逆転ホームランを狙うような、楽して儲けようと思う人が多いのも確かだとおもいます。
ワンダーランドの沿革は昭和33年に私の父が難波歌舞伎座裏で南新商事創業(不動産業 免許番号第1590号)。南新商事のお客様を受けつがず、平成2年敷津西に、何とか一年分の生活費を工面し有限会社ワンダーランドをオープン。ゼロからのスタートでした。
平成2年と言うと、バブルの絶頂期で土地を2~3週間も物件を抱くと数百万円も儲かるという時代でした。売買のお客様には金額も張るため、本当の歳(27歳)は言えず、33歳ですと嘘を言わないと信用もされません。
そして、不動産業さえすれば儲かると錯覚し、営業を始めたのですが、土地の値段も坂を転げ落ちるように下がり、なかなか売買の仲介ができませんでした。
私自身、まだ弱冠27歳で、妻と二人で事務所にいるだけで電話もかからず、月に1件賃貸の契約が出来れば良いほどで、売買などは皆無でした。幼い子供がいたために、事務所の2階には子供を寝さす部屋として2畳の和室(現在もあります)を作りました。妻と子を養うどころか、不動産業だけではどうにもならず、妻もパートに行き、そして、夜は子供が寝静まってから、なんとか輪転機のリースが通った機械で寒い冬も、暑い夏も、チラシ作成し、それを妻と二人で配りに歩きました。しかし、結果を出すことが出来ず。妻には迷惑ばかりをかけていました。
なんとか、かんとか5年ぐらい持ちこたえることができ、その頃から1人2人とスッタッフにも恵まれ賃貸にも力を入れ、売買と賃貸の両輪で営業を進め、おかげさまで、平成11年6月に、大阪市浪速区元町1丁目(私の実家)に2店舗目を出すことが出来ました。(2020年に難波店閉店)
いくらワンダーランドが儲らなくても、嘘をついて儲けたくはありません、お客様に喜んで戴き「また使ってやる」と言われなければと考えております。
皆様に支えられて、浪速区内の元町・敷津西・敷津東・大国・難波中・戎本町の木津中校区での売買・賃貸の仲介実績をあげられるようなりました。
その間、小学校や中学校のPTAの会長や地域のお手伝いをさせて頂くようになり、賃貸管理も雪が春の日差しで徐々に溶けるように、任せて頂けるようになりました。
今は、この様にいろんな角度から応援してくれた皆さんに感謝しています。現在スタッフは私・妻を含め7名(内宅建士6)です。
幸せ感は人それぞれ違うかも知れませんが、今ある自分は皆さんのおかげで生活できる事に心より感謝し、皆さんの喜んでいる顔を思い浮かべ、一意専心に物事にあたっていきます。
好きな言葉 死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。 道尽き心安んずる、便ち是死所。 世に生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。 心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。