事務所のトイレを新調しました!34年で変わったこと!
なんば大国町の不動産エージェント ワンダーランド・久保田 博です。
最近、事務所のトイレを新しくしました。
トイレから歴史を感じる
実は弊社のトイレは、34年前の創業時に設置した物です。
当時の日本人の体格を反映しているのか、便座が最近の物よりも10cmほど低いです。
日本人の体格が変わり、足が長くなったことがよくわかります。
このようにトイレのデザインも時代と共に進化しているのですね。
そのトイレをこの度新調し、新しい物にしました!
水量の進化とエコ性能
34年前のトイレと現代のトイレでは、水の使用量にも大きな違いがあります。
最近のトイレは、昔の5分の1から6分の1の水量で流すことができる設計となっており、環境にも優しいエコ性能を備えています。
これは、環境にも優しいし、水道代の節約にもなるし、一見メリットしかないように思われます。
しかし、これには注意しなければならない点があります。
配管の課題と対策
水量で問題になるのは、排水の詰まりです。
戦後から高度経済成長期までの時代に、日本では土管(陶器製の排水管)が使われていました。
具体的には1960年代から1970年代前半にかけての建物に多く使用されていたようです。
1970年代以降は、耐久性や施工性に優れた塩化ビニル製の排水管が普及し、土管の使用は次第に減少しました。
そのため、古い建物では、特に排水管が土管の場合、排水の詰まりのリスクが高まり、注意が必要です。
弊社が管理する物件でも、オーナー様がトイレを交換しようと思われたところ、排水管が土管であり、水量が少なくなることで詰まってしまうリスクが高く、断念されたことがありました。
排水管が塩化ビニル製であれば、水量が少なくてもある程度耐えられますが、慎重な判断が必要です。
弊社ではこの問題に対応するため、トイレ工事の際に水量をできるだけ増やす設定にし、古い排水管にも対応できるように工夫しました。
結局、現在の水量の2倍程度の量を流すように設定した為、先日まで流していた3分の1程度の水量になりました。
この違いは、流したときに明らかに感じることができるくらいの変化です。
マンション管理士試験に学ぶ配水管の知識
私が現在勉強中のマンション管理士試験でも、排水管について学んでいます。
マンションの排水管は塩化ビニル製が主流ですが、排水管の太さや勾配の設定が適切でないと、排水の流れが悪くなります。
勾配が緩すぎると、水が十分に流れず詰まりやすくなり、急すぎると水だけが先に流れてしまい、固形物が残ってしまうことがあります。
このような勾配の問題点がよく出題されます。
適切な勾配は非常に重要なポイントですが、この数字を覚えるのがなかなか大変なんです。
管径 65mm 以下 勾配最小 50分の1
管径 75mm 又は 100mm 勾配最小 100分の1
管径 125mm 勾配最小 150分の1
管径 150mm ~ 100mm 勾配最小 200分の1
台所や浴室の排水横引管と便所の排水横引管を比較すると「便所の方が勾配は緩やか」になり、便所は固形物が流れるため、管径が太くなるからです。
記憶の定着はペンキ塗り!くり返し、くり返し、塗り固めていくことです。
まとめ
今回のトイレ改修を通じて、排水管や水量に関する問題を改めて確認することができました。
どうぞ、何かお困りごとなどありましたら、ご遠慮なくワンダーランドにご相談してみてください、ぜひお気軽にお問い合わせください。
⭐︎☆ 有限会社ワンダーランド☆⭐︎創業:平成2年4月
・HP: https://www.0120720901.com/
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大阪ミナミ 高島屋前の戎橋筋にあった、大阪市立精華幼稚園・精華小学校の出身です。現在エディオン。
なんばスケート場・なんばプール・千日ファミリープール、今あるマルイの地下にあった、ゲームセンター等を幼稚園の時から遊び場にし、小学生の時は、友達の雀球・アレンジボール、コインゲームセンター、雀荘などで遊び呆けて育ちました。
世間では、そんな風うに育てば、ろくな人では無いと思われるか知れませんが、門前の小僧みたいなもので、何をすれば駄目なのか、何をすれば良いのか、がわかるようになったように思います。
そんなこんなで今があります。
「戦争」「コロナ禍」「地震」「円安」「デフレ」。一体この不況はいつまで続くのでしょうか。多くの国民がこの暗いトンネルの出口を探そうとあえいでいます。
不動産業というのは、世間の人から客観的に見ても、「何か恐い」「騙される」「うそをつかれる」「ふっかけられる」等の先入観で判断されがちです。事実、我々不動産業者が同業者を見ても、「狐とタヌキの化かしあい」の様なところも事実あります。その様な部分を改善しょうともせず、勉強をせず営業努力も怠って業界自体も現在に至っています。
そのような中、やはり、お客様の喜びなしではやっていけません。私たちはお客様の笑顔を見るために、本当にいいサービスを本当に喜ばれるように、生意気かも知れませんが、感謝されるお客様をどれだけ創る事ができたのかが大切だと考えています。
しかし、現実は非常に厳しい。まずは、その訳をお聞きください。土地建物の売買の場合、売り物件はどうしても、知名度のある、信用力のある、大手に流れてしまいます。
買いの場合は、極端な話し、手数料が安ければと言われるお客さんもいらっしゃいます。要は業者などどこでもよく、ちゃんと取引が出来れば購入してくれます。 買うのはどこの不動産屋でも同じ!しかし、売るの時は、大手!と言う心理がはたらいています。
大手と街の不動産屋の大きな違いは、資金力・信用力はもとより、取引時の重要事項説明書などの書類関係など調査力と、丁寧さです。街の不動産屋は、道路・ガス・上下水道・隣地境界・道路関係などの面倒のかかる調査は最近やっと当たり前になってきました。全ての不動産屋がいい加減では決してありませんが、でも、私も含めてそうかも知れませんが、不動産屋などをやろうとする人は、一発逆転ホームランを狙うような、楽して儲けようと思う人が多いのも確かだとおもいます。
ワンダーランドの沿革は昭和33年に私の父が難波歌舞伎座裏で南新商事創業(不動産業 免許番号第1590号)。南新商事のお客様を受けつがず、平成2年敷津西に、何とか一年分の生活費を工面し有限会社ワンダーランドをオープン。ゼロからのスタートでした。
平成2年と言うと、バブルの絶頂期で土地を2~3週間も物件を抱くと数百万円も儲かるという時代でした。売買のお客様には金額も張るため、本当の歳(27歳)は言えず、33歳ですと嘘を言わないと信用もされません。
そして、不動産業さえすれば儲かると錯覚し、営業を始めたのですが、土地の値段も坂を転げ落ちるように下がり、なかなか売買の仲介ができませんでした。
私自身、まだ弱冠27歳で、妻と二人で事務所にいるだけで電話もかからず、月に1件賃貸の契約が出来れば良いほどで、売買などは皆無でした。幼い子供がいたために、事務所の2階には子供を寝さす部屋として2畳の和室(現在もあります)を作りました。妻と子を養うどころか、不動産業だけではどうにもならず、妻もパートに行き、そして、夜は子供が寝静まってから、なんとか輪転機のリースが通った機械で寒い冬も、暑い夏も、チラシ作成し、それを妻と二人で配りに歩きました。しかし、結果を出すことが出来ず。妻には迷惑ばかりをかけていました。
なんとか、かんとか5年ぐらい持ちこたえることができ、その頃から1人2人とスッタッフにも恵まれ賃貸にも力を入れ、売買と賃貸の両輪で営業を進め、おかげさまで、平成11年6月に、大阪市浪速区元町1丁目(私の実家)に2店舗目を出すことが出来ました。(2020年に難波店閉店)
いくらワンダーランドが儲らなくても、嘘をついて儲けたくはありません、お客様に喜んで戴き「また使ってやる」と言われなければと考えております。
皆様に支えられて、浪速区内の元町・敷津西・敷津東・大国・難波中・戎本町の木津中校区での売買・賃貸の仲介実績をあげられるようなりました。
その間、小学校や中学校のPTAの会長や地域のお手伝いをさせて頂くようになり、賃貸管理も雪が春の日差しで徐々に溶けるように、任せて頂けるようになりました。
今は、この様にいろんな角度から応援してくれた皆さんに感謝しています。現在スタッフは私・妻を含め7名(内宅建士6)です。
幸せ感は人それぞれ違うかも知れませんが、今ある自分は皆さんのおかげで生活できる事に心より感謝し、皆さんの喜んでいる顔を思い浮かべ、一意専心に物事にあたっていきます。
好きな言葉 死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。 道尽き心安んずる、便ち是死所。 世に生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。 心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。