特区民泊の新規申請終了へ。大阪でいま起きている変化
なんば大国町の不動産エージェント ワンダーランド・久保田 博です。
大阪市内では、ここ数年で民泊の存在がぐっと身近になりました。
街の中でスーツケースを押す外国人の姿を見ることも増え、住まいと宿泊が同じ場所にある風景も珍しくなくなりました。
そうした中で、特区民泊の新規申請が終了するという大きな区切りが見えてきています。
制度の流れと現場の感覚の両方から、いま起きていることを整理してみたいと思います。
特区民泊という制度の特徴
大阪市の特区民泊は、国家戦略特区の制度を活用して認められてきた仕組みで、一般的な住宅宿泊事業と比べて年間365日営業が可能という大きな特徴がありました。
訪日観光客の増加とともに、宿泊施設の不足を補う役割として広がり、投資対象としても注目される存在になっていきました。
特に大阪市内では、街の中で民泊の存在を身近に感じる場面は、ここ数年で一気に増えたように思います。
スーツケースを押して移動する外国人の方を見かける機会が増え、「この建物も民泊なのかな」と感じることも珍しくなくなりました。
以前は意識しなければ気づかない存在だったものが、日常の中に入り込んできたという印象を持たれた方も多いのではないでしょうか。
こうした広がりは、観光都市としての大阪の変化とも重なります。
海外からの来訪者が増え、それに伴って宿泊の需要も増え、結果として民泊という形が広がっていきました。
制度としては観光需要を支えるための一つの受け皿として機能してきた側面もあり、街の経済を支える役割を担ってきたことも確かです。
暮らしの中に生まれた、小さな違和感の積み重ね
民泊が広がり始めた当初は、街がにぎやかになるという前向きな印象もありました。
実際、観光客が増えることで地域の活気につながる部分もあり、新しい形の不動産活用として関心を持たれることも多かったように思います。
ただ、制度として認められていることと、実際に生活する場としてどう感じるかは必ずしも同じではありません。
住んでいる側からすると、短期間で人の入れ替わりがある環境に少しずつ戸惑いを感じることもあったのではないでしょうか。
実際の現場では、誰が住んでいるのか分からない期間があることや、共用部分の使い方が普段と違うといった小さな変化が積み重なっていきました。
大きな問題が起きているわけではなくても、落ち着いた住環境を守りたいという思いが管理組合の中で少しずつ強くなっていった印象があります。
その結果として、管理規約を見直したり、民泊利用を明確に制限する方向へと舵を切るマンションが増えていきました。
賃貸契約書の中でも民泊を禁止する条文を入れることが、いまでは当たり前のようになっています。
これは制度そのものを否定するというよりも、住まいとしての安心感を守りたいという流れの中で自然に生まれてきた変化だったのかもしれません。
制度見直しは突然ではなく、流れの中で起きた
大阪市が特区民泊の新規受付を停止する方向へと進んでいった背景には、騒音やゴミ出しの問題など、地域からの苦情が増えていたことが理由として挙げられています。
生活の場と宿泊の場が同じ建物の中で重なる以上、一定のトラブルが生まれる可能性があるのは自然なこととも言えます。
ただ、この流れはある日突然始まったものではなく、ここ数年の間に少しずつ積み重なってきたもののようにも感じます。
住環境に対する考え方が変わり、静かに暮らせることや落ち着いた生活が守られることをより重視する声が強くなってきた印象があります。
制度の見直しが進んだ理由は一つではなく、地域の声、生活環境への意識の変化、街全体のバランスをどう保つかという考え方など、いくつかの要素が重なっていった結果なのだと思います。
現場にいると、「制度が急に変わった」というよりも、「流れとして徐々に方向が定まってきた」という感覚に近いものがあります。
新規認定の終了が意味するもの
そして正式に、特区民泊の新規認定の受付は2026年5月29日までという方針が示されました。
この日までに建物が完成し、消防検査などをクリアした状態で申請を完了している必要があるため、実際にこれから新しく参入するには時間的な余裕があまりないのが現実です。
土地を仕入れて建物を建て、制度に合わせて整備を進めるには相応の期間が必要になります。
そう考えると、これから新たに特区民泊として参入するという動きは、現実的にはかなり難しくなってきているように感じます。
これまでのように「これから始める」という選択肢が取りにくくなったことで、市場の見方も少しずつ変わっていく可能性があります。
制度が続いていても、新しく増えていかないという点は大きな違いです。
これからは「増えない制度」になる
新規認定が止まるということは、これから先は数が増えていかない制度になるということでもあります。
これまでのように新しい物件が次々と生まれていく状況とは、少し性質が変わっていきます。
これからは、新しく作るというよりも、すでにあるものをどう活かしていくかという視点が強くなっていくのかもしれません。
特区民泊の認定を取得している物件は、制度の中で存在し続けることになりますが、それがどう評価されるのかは、運営の状況や立地、建物の状態などによって大きく変わっていきそうです。
単に認定があるというだけで価値が決まるわけではありませんが、「新しく増えない」という状況そのものが、これまでとは少し違った見方を生む要因にはなっていくように感じます。
認定は「建物」だけに付いているわけではない
特区民泊の制度を見ていると、認定は単に建物だけに付いているものではなく、申請主体や運営体制も含めて成り立っている仕組みであることが分かります。
建物があるだけではなく、どのような形で管理され、どのような体制で運営されているかという点も含めて認められている制度です。
新規認定が止まるという話になると、どうしても「すでに認定を持っている物件はどうなるのか」という点に関心が集まりやすくなります。
実際のところ、不動産としての売買だけでなく、運営している法人ごと引き継ぐような形が出てくるのではないか、と感じる場面もあるかもしれません。
ただ、制度の構造を考えると、名前だけが残って中身がまったく違うものになるような場合に、それがそのまま認められるのかという点は、そう単純ではないように思います。
申請主体や運営体制も含めて認定されている以上、実態が大きく変わるような取引については、行政側としても何らかの確認が入る可能性があるのではないか、というのが自然な見方ではないでしょうか。
もちろん、個々のケースによって扱いが変わる部分もあり、一概にこうなるとは言い切れません。
ただ、少なくとも特区民泊は、建物単体の話だけでは完結しない制度であるという点は意識しておいた方が良いのかもしれません。
不動産としての側面と、運営としての側面、その両方が重なって成り立っている仕組みだということが、これからはよりはっきりしてくるように感じます。
おわりに
特区民泊の新規認定が止まるという動きは、単に一つの制度が変わるという話にとどまらず、不動産の使われ方や見られ方にも少しずつ影響していく可能性があります。
数が増え続ける時期から、既にあるものをどう活かしていくかを考える段階へと移っていく中で、物件の評価のされ方も変わっていくかもしれません。
制度は、街の暮らしや不動産市場の流れと切り離して存在しているものではありません。
新規の枠が増えなくなるという一つの変化が、これからの売買や活用の考え方に静かに影響していく場面も出てくるのではないかと感じています。
大きな動きのようでいて、実際には少しずつ形になっていく変化です。
だからこそ、いま起きていることを丁寧に見ていくことが、これからの不動産市場を考える上で大切になっていくのかもしれません。
⭐︎☆ 有限会社ワンダーランド☆⭐︎創業:平成2年4月
・HP: https://www.0120720901.com/
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大阪ミナミ 高島屋前の戎橋筋にあった、大阪市立精華幼稚園・精華小学校の出身です。現在エディオン。
なんばスケート場・なんばプール・千日ファミリープール、今あるマルイの地下にあった、ゲームセンター等を幼稚園の時から遊び場にし、小学生の時は、友達の雀球・アレンジボール、コインゲームセンター、雀荘などで遊び呆けて育ちました。
世間では、そんな風うに育てば、ろくな人では無いと思われるか知れませんが、門前の小僧みたいなもので、何をすれば駄目なのか、何をすれば良いのか、がわかるようになったように思います。
そんなこんなで今があります。
「戦争」「コロナ禍」「地震」「円安」「デフレ」。一体この不況はいつまで続くのでしょうか。多くの国民がこの暗いトンネルの出口を探そうとあえいでいます。
不動産業というのは、世間の人から客観的に見ても、「何か恐い」「騙される」「うそをつかれる」「ふっかけられる」等の先入観で判断されがちです。事実、我々不動産業者が同業者を見ても、「狐とタヌキの化かしあい」の様なところも事実あります。その様な部分を改善しょうともせず、勉強をせず営業努力も怠って業界自体も現在に至っています。
そのような中、やはり、お客様の喜びなしではやっていけません。私たちはお客様の笑顔を見るために、本当にいいサービスを本当に喜ばれるように、生意気かも知れませんが、感謝されるお客様をどれだけ創る事ができたのかが大切だと考えています。
しかし、現実は非常に厳しい。まずは、その訳をお聞きください。土地建物の売買の場合、売り物件はどうしても、知名度のある、信用力のある、大手に流れてしまいます。
買いの場合は、極端な話し、手数料が安ければと言われるお客さんもいらっしゃいます。要は業者などどこでもよく、ちゃんと取引が出来れば購入してくれます。 買うのはどこの不動産屋でも同じ!しかし、売るの時は、大手!と言う心理がはたらいています。
大手と街の不動産屋の大きな違いは、資金力・信用力はもとより、取引時の重要事項説明書などの書類関係など調査力と、丁寧さです。街の不動産屋は、道路・ガス・上下水道・隣地境界・道路関係などの面倒のかかる調査は最近やっと当たり前になってきました。全ての不動産屋がいい加減では決してありませんが、でも、私も含めてそうかも知れませんが、不動産屋などをやろうとする人は、一発逆転ホームランを狙うような、楽して儲けようと思う人が多いのも確かだとおもいます。
ワンダーランドの沿革は昭和33年に私の父が難波歌舞伎座裏で南新商事創業(不動産業 免許番号第1590号)。南新商事のお客様を受けつがず、平成2年敷津西に、何とか一年分の生活費を工面し有限会社ワンダーランドをオープン。ゼロからのスタートでした。
平成2年と言うと、バブルの絶頂期で土地を2~3週間も物件を抱くと数百万円も儲かるという時代でした。売買のお客様には金額も張るため、本当の歳(27歳)は言えず、33歳ですと嘘を言わないと信用もされません。
そして、不動産業さえすれば儲かると錯覚し、営業を始めたのですが、土地の値段も坂を転げ落ちるように下がり、なかなか売買の仲介ができませんでした。
私自身、まだ弱冠27歳で、妻と二人で事務所にいるだけで電話もかからず、月に1件賃貸の契約が出来れば良いほどで、売買などは皆無でした。幼い子供がいたために、事務所の2階には子供を寝さす部屋として2畳の和室(現在もあります)を作りました。妻と子を養うどころか、不動産業だけではどうにもならず、妻もパートに行き、そして、夜は子供が寝静まってから、なんとか輪転機のリースが通った機械で寒い冬も、暑い夏も、チラシ作成し、それを妻と二人で配りに歩きました。しかし、結果を出すことが出来ず。妻には迷惑ばかりをかけていました。
なんとか、かんとか5年ぐらい持ちこたえることができ、その頃から1人2人とスッタッフにも恵まれ賃貸にも力を入れ、売買と賃貸の両輪で営業を進め、おかげさまで、平成11年6月に、大阪市浪速区元町1丁目(私の実家)に2店舗目を出すことが出来ました。(2020年に難波店閉店)
いくらワンダーランドが儲らなくても、嘘をついて儲けたくはありません、お客様に喜んで戴き「また使ってやる」と言われなければと考えております。
皆様に支えられて、浪速区内の元町・敷津西・敷津東・大国・難波中・戎本町の木津中校区での売買・賃貸の仲介実績をあげられるようなりました。
その間、小学校や中学校のPTAの会長や地域のお手伝いをさせて頂くようになり、賃貸管理も雪が春の日差しで徐々に溶けるように、任せて頂けるようになりました。
今は、この様にいろんな角度から応援してくれた皆さんに感謝しています。現在スタッフは私・妻を含め7名(内宅建士6)です。
幸せ感は人それぞれ違うかも知れませんが、今ある自分は皆さんのおかげで生活できる事に心より感謝し、皆さんの喜んでいる顔を思い浮かべ、一意専心に物事にあたっていきます。
好きな言葉 死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。 道尽き心安んずる、便ち是死所。 世に生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。 心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。