決断の重みと覚悟が未来を切り拓く
なんば大国町の不動産エージェント ワンダーランド・久保田 博です。
ビジネスや人生では、大きな決断を下す場面が何度も訪れます。
どんなに準備を重ねても、最終的には「これでいいのか」と不安を感じることも少なくありません。
それでも、その決断が未来を切り拓く一歩になると信じ、覚悟を持って進むことが重要です。
私自身、不動産業に携わる中で、多くの決断をしてきました。
そのたびに、責任の重さを感じながらも、一つひとつ乗り越えてきた経験があります。
今回は、決断と覚悟について、少し考えてみたいと思います。
1. 戦国武将の決断力から学ぶ
日本の歴史を振り返ると、多くの戦国武将たちが、極めて困難な状況の中で重大な決断を下してきました。
その中でも武田信玄の
「疾きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵略すること火の如く、動かざること山の如し」
という言葉には、状況に応じた柔軟な対応と覚悟の重要性が込められています。
この言葉は、単に戦術だけを指しているわけではありません。
決断には迅速さが求められる場面もあれば、慎重さや堅実さが必要な場面もあります。
そのどちらもバランスよく見極める力こそが、成功を導く鍵ではないでしょうか。
ビジネスにおいても同じで、あらゆる状況を冷静に見極めつつ、ここぞという時には素早い判断が必要です。
2. 決断には覚悟が伴う
決断を下すことは簡単ではありません。
それが仕事に関わるものであれば、責任や結果の重さに戸惑うこともあります。
しかし、どんな決断にも「覚悟」が必要です。
この覚悟がなければ、たとえその場でうまくいっても、後から揺らいでしまうことがあります。
例えば、不動産業において、物件の提案一つを取っても、お客様にとって最良の選択肢となるような提案をするには、私たちにも責任が伴います。
その結果、契約が成立するかどうかにかかわらず、提案に込めた覚悟が信頼を生むと信じています。
3. 迷いながらも進むことの大切さ
私自身、多くの決断をしてきましたが、そのたびに「これで良いのだろうか」と迷い、悩むこともありました。
しかし、迷いや悩みがあるからこそ、慎重に考え抜き、最善の選択をしようと努力できたのだと思います。
戦国武将の上杉謙信も、「義」を重んじる姿勢を貫きながら、時には苦しい決断を迫られました。
それでも、自らの信念に基づき、迷いながらも覚悟を持って決断を下し続けた姿勢には、多くの学びがあります。
完璧な答えを求めるのではなく、迷いや悩みを糧にして進むことが、結果的には成功へとつながるのではないでしょうか。
4. 決断が未来を切り拓く
決断を下すことは、ある意味で未来への扉を開けることだと思います。
ビジネスにおいても、どんな選択をするかがその後の結果を大きく左右します。
私たちは、不動産業を通じて、お客様や取引先の方々にとって最良の選択肢を提案し、その未来をサポートする役割を担っています。
一つひとつの決断が、未来への道筋を作り出します。
その道が正しいかどうかは、結果が出るまで分からないこともありますが、覚悟を持って進むことで、新しい可能性が生まれると信じています。
5.まとめ
決断とは、覚悟と責任を伴うものであり、それが未来を切り拓く原動力になります。
戦国武将たちの知恵や経験から学びつつ、私たちもまた、日々の仕事の中で決断と向き合い続けています。
これからも、ワンダーランドは覚悟を持って前に進み、お客様や取引先との信頼を築きながら、未来をともに作り上げていきたいと思います。
⭐︎☆ 有限会社ワンダーランド☆⭐︎創業:平成2年4月
・HP: https://www.0120720901.com/
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大阪ミナミ 高島屋前の戎橋筋にあった、大阪市立精華幼稚園・精華小学校の出身です。現在エディオン。
なんばスケート場・なんばプール・千日ファミリープール、今あるマルイの地下にあった、ゲームセンター等を幼稚園の時から遊び場にし、小学生の時は、友達の雀球・アレンジボール、コインゲームセンター、雀荘などで遊び呆けて育ちました。
世間では、そんな風うに育てば、ろくな人では無いと思われるか知れませんが、門前の小僧みたいなもので、何をすれば駄目なのか、何をすれば良いのか、がわかるようになったように思います。
そんなこんなで今があります。
「戦争」「コロナ禍」「地震」「円安」「デフレ」。一体この不況はいつまで続くのでしょうか。多くの国民がこの暗いトンネルの出口を探そうとあえいでいます。
不動産業というのは、世間の人から客観的に見ても、「何か恐い」「騙される」「うそをつかれる」「ふっかけられる」等の先入観で判断されがちです。事実、我々不動産業者が同業者を見ても、「狐とタヌキの化かしあい」の様なところも事実あります。その様な部分を改善しょうともせず、勉強をせず営業努力も怠って業界自体も現在に至っています。
そのような中、やはり、お客様の喜びなしではやっていけません。私たちはお客様の笑顔を見るために、本当にいいサービスを本当に喜ばれるように、生意気かも知れませんが、感謝されるお客様をどれだけ創る事ができたのかが大切だと考えています。
しかし、現実は非常に厳しい。まずは、その訳をお聞きください。土地建物の売買の場合、売り物件はどうしても、知名度のある、信用力のある、大手に流れてしまいます。
買いの場合は、極端な話し、手数料が安ければと言われるお客さんもいらっしゃいます。要は業者などどこでもよく、ちゃんと取引が出来れば購入してくれます。 買うのはどこの不動産屋でも同じ!しかし、売るの時は、大手!と言う心理がはたらいています。
大手と街の不動産屋の大きな違いは、資金力・信用力はもとより、取引時の重要事項説明書などの書類関係など調査力と、丁寧さです。街の不動産屋は、道路・ガス・上下水道・隣地境界・道路関係などの面倒のかかる調査は最近やっと当たり前になってきました。全ての不動産屋がいい加減では決してありませんが、でも、私も含めてそうかも知れませんが、不動産屋などをやろうとする人は、一発逆転ホームランを狙うような、楽して儲けようと思う人が多いのも確かだとおもいます。
ワンダーランドの沿革は昭和33年に私の父が難波歌舞伎座裏で南新商事創業(不動産業 免許番号第1590号)。南新商事のお客様を受けつがず、平成2年敷津西に、何とか一年分の生活費を工面し有限会社ワンダーランドをオープン。ゼロからのスタートでした。
平成2年と言うと、バブルの絶頂期で土地を2~3週間も物件を抱くと数百万円も儲かるという時代でした。売買のお客様には金額も張るため、本当の歳(27歳)は言えず、33歳ですと嘘を言わないと信用もされません。
そして、不動産業さえすれば儲かると錯覚し、営業を始めたのですが、土地の値段も坂を転げ落ちるように下がり、なかなか売買の仲介ができませんでした。
私自身、まだ弱冠27歳で、妻と二人で事務所にいるだけで電話もかからず、月に1件賃貸の契約が出来れば良いほどで、売買などは皆無でした。幼い子供がいたために、事務所の2階には子供を寝さす部屋として2畳の和室(現在もあります)を作りました。妻と子を養うどころか、不動産業だけではどうにもならず、妻もパートに行き、そして、夜は子供が寝静まってから、なんとか輪転機のリースが通った機械で寒い冬も、暑い夏も、チラシ作成し、それを妻と二人で配りに歩きました。しかし、結果を出すことが出来ず。妻には迷惑ばかりをかけていました。
なんとか、かんとか5年ぐらい持ちこたえることができ、その頃から1人2人とスッタッフにも恵まれ賃貸にも力を入れ、売買と賃貸の両輪で営業を進め、おかげさまで、平成11年6月に、大阪市浪速区元町1丁目(私の実家)に2店舗目を出すことが出来ました。(2020年に難波店閉店)
いくらワンダーランドが儲らなくても、嘘をついて儲けたくはありません、お客様に喜んで戴き「また使ってやる」と言われなければと考えております。
皆様に支えられて、浪速区内の元町・敷津西・敷津東・大国・難波中・戎本町の木津中校区での売買・賃貸の仲介実績をあげられるようなりました。
その間、小学校や中学校のPTAの会長や地域のお手伝いをさせて頂くようになり、賃貸管理も雪が春の日差しで徐々に溶けるように、任せて頂けるようになりました。
今は、この様にいろんな角度から応援してくれた皆さんに感謝しています。現在スタッフは私・妻を含め7名(内宅建士6)です。
幸せ感は人それぞれ違うかも知れませんが、今ある自分は皆さんのおかげで生活できる事に心より感謝し、皆さんの喜んでいる顔を思い浮かべ、一意専心に物事にあたっていきます。
好きな言葉 死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず。 道尽き心安んずる、便ち是死所。 世に生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。 心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。